2017年11月14日火曜日

独想

僕たち大人は、命を絶つことの馬鹿馬鹿しさを、ちゃんと子ども達に伝えられているだろうか。
命を絶つほどの苦しみに共感した上で、それは選択肢から外すべきであること、他に選択肢があることを、言葉や態度をもって伝えられているだろうか。

この国には、自死を望む子どもらに、共感するふりをして弄ぶ、地蜘蛛のような大人が、いつでも存在する。

かつて似たような出来事があったこと、それが延々と繰り返されていることを、ちゃんと覚えているだろうか。
なぜ繰り返されるかを、子どもたちのために考えてあげられているだろうか。

命を軽んじるのではなく、重んじているからこそ、人は命を絶とうと考えてしまう。
その重さを訴えれば訴えるほど、深みに陥る。
そういう子どもにとって、人生なんてどうにでもなると教えることが、他人から見れば自分の悩みがどれほど滑稽か、その命がまだまだ軽く、他人にすら自由にしてしまえるということを教えることが、どれほど救いになるか、示してあげられているだろうか。

命は最後の砦だ。
その砦を明け渡すことを考えてしまう苦しみを、身近な人間の誰にも打ち明けられないのは、生まれ育った一つの常識の中で、全てを考えてしまうからだ。

遠い他者を頼ってしまうのは、自分を捕らえる一つの常識とは異なる、別の常識と接することで、解放されることを無意識に願うからだ。

だがどんな常識も、結局のところ、最初で最後の前提に立ち返るものであることを知ってさえいれば、極端で陰惨で、希望のない結末に襲われることはないのではないか。

人間は、生きていること、それ自体が最初で最後の希望なのだ。

大人達だって、結局のところ、かろうじて、滑稽に、悩み続けてなお生きていることを、せめて伝えるべきではないのか。
そうすれば、自分が生きるためだけに、あらゆる他人を犠牲にせざるを得ないほど、行き詰まった大人が、どれほど多いかも、伝わるのではないか。
そうした危険をあらかじめ知っておくことができるのではないか。

かつて僕が育ったネパールで、内戦が起こり、そこで生き抜いた友人が言ったことが忘れられない。

「内戦で一万人以上死んだ。でも、日本では一年で三万人くらい自殺するんだろう? 日本に比べれば、この国は平和だよ」

この国は豊かだが、それだけだ。
豊かで重みがあるからそれを捨てることに価値を生み出す。
それが、どれほど滑稽か。
それが、あの小説を書いた理由だ。

2017年7月2日日曜日

シュピーゲル・シリーズ完結



【シュピーゲル・シリーズ完結】
緑の森の マイヤリング
美しい夢は 終わってしまった
『「生」と「死」のウィーン』(著・ロート美恵 講談社現代新書 1991年刊)で紹介されている詩である。
この一冊を読んだのは、シュピーゲル・シリーズの着想を得る以前、おそらく96年にデビューする前のことだろう。以来、長く本棚に置かれ続けた。
確か2003年頃だったと思うが、短編の依頼が来た。それでなぜか再読し、「ミリオポリス」という架空の巨大国際都市をイメージするきっかけを与えてくれた。

端緒は、書の三つの言葉だったと思う。
「美しき亡骸」シエーネ・ライヒ
「亡骸の会食」ライヒエンシュマウス(マオス)
「世紀末」ファン・ド・シエクル

舞台はウィーン。一風変わったものが書ける気がした。
そうしてあるとき、ひと仕事するために喫茶店へ向かった。(当時は、異なる仕事ごとに場所を変え、喫茶店やファミレスを回遊していた。)

歩いていると、ふいに、カチン、とジッポライターの蓋を開く音が、どこからともなく聞こえてきた。
続いて、幾つかのイメージが訪れた。
人生は失望に耐えるだけと割り切る誰かがショートホープを噛むようにくわえている。
ナイフみたいに尖った目つき。不敵な態度。皮肉っぽい様子。
青い空を仰ぎ、にやりと笑みを浮かべて呟く。
「なーんか、世界とか救いてー」

よしよし、書けるぞ、と思った。
土中に埋まった何か大きなものの一部を見つけた気分だ。
あとは、そのイメージを壊さないよう注意しながら掘り出していけばいい。
無事に着想出来ると、そういう思いがわいて、ふっと気が楽になる。
そのときは、これで〆切に間に合わせられそうだ、と考え、安堵した。

それから10数年。
身を振り絞って、彼女ら・彼らの物語を、何冊も書き続けることになろうとは予想もしなかった。
最後の1行に辿り着いたとき、やっと解放されたと考え、安堵した。
最初のイメージが訪れたときと異なるのは、ついでに寂しさもやってきたことだ。
彼女ら・彼らは、物語の向こう側へ旅立っていった。
読者の手へ委ねられ、自分に出来ることは、もう何もなくなった。
「まだか」と問われて困ることもない。
彼女ら・彼らのその先は、読者の皆様のもとに漠然とした予感として訪れるだろう。

結末を見届けて下さった読者に心から感謝を。

書籍は7月1日発売、電子書籍は8月だそうです。
★修正★
↓↓↓↓
書籍は7月1日発売。電子書籍は、「BOOK WALKER」では7月1日配信、他の電子書店では8月1日配信予定だそうです。

なんと、そうだったんだ。

2017年6月13日火曜日

【お久しぶり!】冲方サミット開催【完結記念&色々!】

【お知らせ】7月22日(土)19時~、ロフトプラスワンにて開催!
「冲方サミットイベント テスタメントシュピーゲル完結したよーー!!」 ぜひご参加ください!
チケット発売は6月15日(木)10時~。


というわけで、久々のイベント!
本当は春になる前にやろうという話もあった気が。冲方が体調をめちゃくちゃ崩し、テスタメントもあれもこれも終わらず延び延びになっておりましたが、無事に開催!
作家と編集者によるポロリだらけの飲み会にご興味がある方は、ぜひ遊びに来て下さい。

その前哨戦(?)なのか、少年画報社担当N氏主催のポーカー大会が、某居酒屋でひそかに開催されておりました。

ディーラーは、「マルドゥック・スクランブル劇場アニメ三部作」で、カジノシーンの演技指導をして頂いた、元カジノスクール講師の高橋先生。

高橋先生のサイトはこちら。
http://casino-paradise.shop-pro.jp/

プレーヤーは総勢18人。
テスタメント元担当のIさんや、アフタヌーン担当のNAS氏も参加。
お二人とも、ポーカーに関しては、因縁浅からぬ間柄であると勝手に冲方は思う。

なぜなら、負けたからだ。
特にNAS氏には壮絶な借りがあるのだ。
勝負に負けたせいで、小説家であるにもかかわらず四コマ漫画を描かされるという大変な目に遭わされたのだ。

これだ→ 天地明察(2) (アフタヌーンKC)  槇 えびし http://amzn.asia/1ZHavIY

ちなみに顛末はこれだ→ 「マルドゥック・スクランブル 燃焼」 公開直前記念イベント

第2部 ”冲方サミット”参加メンバーによるガチンコ・ポーカーバトル:動画


カードを伏せたまま降りたりしているので観客にはわからないが、もっぱらNAS氏のオールイン・ブラフで下ろされたりしてジリジリ負けたのである。悔しすぎる。

これは六年越しの雪辱を果たす好機。
なんてことは、実のところ大して考えもせず、のんきに楽しんでいたのですが、やはり因果は巡るものなのか。




冲方、序盤でAのスリーカード
対し、NAS氏、五枚目頼りのオールイン・ブラフ
これが、フラッシュとAKQJ10のストレートを同時に炸裂させることに。

衝撃というより脱力ものです。ないわ。これないわ。しょんぼりです。ショックのあまりプレーが散漫になり全チップを失いかけましたが、気を取り直して何とか生存。

結果は、Iさんの代打のUさんが優勝、NAS氏が二位、冲方は三位で商品のレアTシャツをゲット。
白熱のゲームを味わえたので満足の一夜でした。



またサミットでも、ポーカーイベントを開催したいものです。


2017年3月20日月曜日



 今日も今日とて本棚ご紹介。
 第何弾だっけ。よくわかりません。もう最近、疲れて仕方ありません。回復能力が衰えているんでしょうか。『ウィッチャー』なら正座して瞑想するだけでアイテムまで回復するのですけれど。仕事でぜえぜえ息を荒げているところへ気分転換に世間のニュースを見ると余計にぐったり疲れます。なんですか最近の世の中は。もう少し落ち着いてください。現実が騒がしいと一部のエンタメしか売れなくなるじゃないですか。

 という、ちょっと心がぎすぎすするようなときにお勧めの本が、画像のあれやこれや。アマゾンにリンクを張るとかは疲れすぎてできませんので検索してください。
 どの本もだいたい20年くらい本棚に置かれ続けているのかな。確かそんな縛りだった気がしますが誰が決めたんだっけ。お前か冲方。なんでお前は自分の首を絞めることばかり。まあさておき。
 最新のニュースを見ると、世界は激動で過去に例がないむちゃくちゃぶりかと思いきや、意外に人間は同じことを繰り返しているのだなということが分かる本たち。それが救いになるかどうかは皆目見当もつきませんが、人間はさして変わっていないが、国も文化も遺伝子すらバリエーションの違いに過ぎないと思わされます。

 ちなみに日本やイギリスのような島国は、百年か五十年か、下手すると十数年で言語的感性やら社会階層やらが激変して、過去から学ぶだけでも「読めねえよ、右から左に読むのかよ」的な変動が激しいのが特徴です。それに対して、なぜか、大陸というか、でかい陸地で形成される国家や文化は、時間的にも地続きなことが多いそうです。
 特にフランスやイタリアなどの文化はかなり時代を遡った文献であっても、わりと現代と同じ感覚で読めるのだとか。中でもイタリア人で教皇軍総司令官を就任しながら実のところ一介の弁護士に過ぎなかったグィッチアルディーニさんの本なんかは、『ピルグリム・イェーガー』という漫画原作を書いていた頃にだいぶ参考にしたものですが、今では「ああ、そのころから世界は変わってないのね」という変な安心を与えてくれる本となっております。

「人に知られたくないことは常に否定せよ、そして信じられたいことは肯定せよ。なぜなら、正反対の決定的な証拠が数多くあるとしても強力に肯定あるいは否定すると、聞いている者の心はしばしば迷ってくるものだからである」……グィッチアルディーニ。
 
 昨今のオルタナティブ・ファクトも、あたかも国有地を私物化するかのような何とか学園をめぐる突飛なできごとも、メディチ家やローマの歴史を垣間見ると、本当に人類はどこに行っても、いつまで経っても、あまり変わっていないんだなと思わされます。
 IT革命とか、シンギュラリティとか、いちいち期待もなんにもしていないのは、そういう「人間の変わらなさを変える力」が果たして今世紀、というか冲方が生きている間に生まれたりするんだろうか、という気分が強いからなんでしょうね。

 ‘’信仰というのは要は頑固になることなんです。全然理屈に合ってないんですよ信仰なんて。でも頑固になることの利点は、世の中は偶然の連続なので、たまにマジで信仰が実現することもあるってことで、そうなるとその信仰する人間は手が付けられないほどビッグになったりするから、まあ侮れないんですよ‘’というようなことをグィッチアルディーニさんは仰っていて、まあその通りなんだなあと思わされます。

 画像にある他の三冊も、そうした「理屈に合っていないんだけれども人間としてどうにもこうにも不変である本質」について書かれた本たち。
 二十歳でこんなのばっかり読んでたのか。もう少し遊んでいいんだよ。と思いつつ読み返すと妙に安心させられるのでした。ああ、疲れた。寝よう。


2017年3月6日月曜日



本日の本棚ご案内。
というか、そんなタイトルだったっけ。まあ細かいことはさておき。アマゾンさんから広告的なHTMLをコピペすると良いことあるよと逐一メッセージされて従っていたが大変面倒なのでもうやめます。

作家だからか愛読書ばかりインタビューされるんですが、音楽だって聴きますよ冲方は。エモーショナルなひとときがなければ書けませんよ小説なんて。
そんなわけで今は昔、思春期を発展途上国のカオスな熱気に炙られた冲方がまさに中二の十四歳で帰国し、最も肌にしっくり来たついでにインスピレーションの数々でノックアウトされたのが「ZABADAK」でした。
今は亡き(本当に餓死した)先輩から勧められたのがきっかけで、表紙が敬愛してやまない天野喜孝さんだったり、素敵なフレーズにめくるめいたり、どこの国の人が作ったんだろうと真面目に考えるような音色だったり、平沢進も大好きですが、吉良知彦さんも大好きという、そんな感じです。あっかーいー、めーだーあーまーのー、さっそーりー♪

宮沢賢治の「けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんとうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません」というフレーズ。がっでむ、ごーじゃす! なんてこと言うんだ! 素敵すぎる!

『砂煙りまち』の「時計を鏡に映してみる」「言えなかった言葉 部屋中を探して その亡骸を 送りたいあなたに」といったフレーズ。ごーじゃす! 気絶しそうだ!

オボワ(フランス語)。今聴き直すと、若い頃はめちゃ影響受けてますよ。「言葉の亡骸」とか『ばいばい、アース』でたっぷりリスペクトですよ。この曲を聴いたときに、風聞の鳥のイメージが、ぶわっとね。羽の一つ一つにメッセージを持った鳥が飛んでるところがね、どっかから出たのを思い出しましたよ。誰かの思いがね、芽生えて飛ぶ鳥がね。世界を穿って存在しろとね。19歳のときにプロット書いたからね。許して。
「鏡に映してみる」とか、巡り巡って『テスタメントシュピーゲル』でどっと何かがきた感じがしますね。鏡合わせというキーワードには、時間を巻き戻して過去と向き合う(時計を鏡に映すと逆向きに動くからね、あえて説明するのも野暮だけどね)という何かそんな感じのなんかがあるんでしょうね。
懐かしすぎてちょっとひたりながら聴きたくなりました。ひたります。じゃ。

2017年2月12日日曜日

谷口ジロー作品

本日の本棚。

先日ネットで訃報に接し、哀悼の意とともに、もう長いこと本棚に置かれ続けている作品群を手に取りました。

「BENKEI IN NEWYORK」のダークな都市描写も、「孤独のグルメ」のユーモアも、夢枕獏先生原作の「餓狼伝」「山嶺の神々」の熱量も、どれもこれも愛してやみませんが、ここでは過去の日本の風景を描き出す「明治流星雨」「風の抄」を挙げたい。

谷口ジロー・関川夏央、両先生タッグの作品に初めてふれたのは「明治流星雨」(全五部)で、確か自分がデビューした頃のこと。作家を志す者として、美しい構成とセリフに惹かれる一方、わけのわからないほどの画力と、わけのわからないほどの人物達の目力に、すっかり引き込まれた。
文も絵も、細部に注目しながらカメラ自体は後方へ置く。ただ俯瞰するのではなく、人と風景を、ひとつながりの生きたものとしてとらえる。言うは易しで、どうしたらその視点の置き方、距離感を学べるのかと、何度となく読み返してきた。

「明治流星雨」の序盤、夏目漱石が「無用の人」となる晴れ晴れしさを思いつつ、今は、幸徳秋水の背を描いた第四部につい手が伸びる。全編を通して、目標を失った国家の苛立ちと騒擾をきたす民衆を背景に、文筆を頼りに生きる者達が混乱と先鋭へ向かう様が描かれる。
何か、現代の鏡写しのようだ。

「風の抄」では初めて「黒鍬」という言葉を知った。戦場で死者を埋める役を担ってきた者達だ。以来、ことあるごとに「くろくわもの」を書きたい、と思い続けている。
(昔、富士見書房で書いた「カオスレギオン」でその要素を入れ、タイアップ中のゲームと異なる設定になったが、担当編集者の尽力とゲームのプロデューサー側の寛容のおかげで、望み通り書かせて頂いた)

様々な作品を通して多くを学ばせて頂きました、谷口ジロー先生のご冥福をお祈りします。

2017年2月6日月曜日

本棚ご紹介

【冲方丁のつくりかた お試しブログ版 その1】
前回のサミットにて企画総選挙第三位となった「本棚紹介ネタ」を、お試しブログ版としてやってみることにしました。

おびただしいまでの資料の山が日常的に来ては去る執筆の現場で、過去20年にわたり本棚に残り続けた、本、CD、DVD、画集などを、不定期にご紹介。

第一弾は、題して「始まりの本」

トップバッターは、インタビューなどでしょっちゅう口にしている、これ。
『デイリーコンサイス和英英和辞典』(1980年版)



幼・少年期に父の仕事の都合で海外に暮らしていた際、娯楽品がなかなか手に入らない生活で、ほぼ「読書」として辞書のページをめくっていました。
インターナショナル・スクールに通う上での必需品でしたが、いつしか英語と日本語の比較、言葉と言葉のつながり、一つの意味が別の意味を生み出す言葉の不思議など、「言葉への興味」をかき立てられた一冊。

画像はその辞書で、もうぼろぼろ。これが、とある記事で紹介された2009年、発行元の三省堂さんが、当時最新の『デイリーコンサイス和英英和辞典 第七版』を贈って下さいました。
おかげさまで、今も変わらず「愛読書」となっております。



二つ目は、デビュー以来、最高の教科書として読み続けている本。
『神話の力』



デビューした1996年、自分のよりどころとなる「何か」を求めてのたうち回っていた時期、スティーブン・キング風にいえば「かがやき(シャイニング)」のように突如として現れ、進むべき「どこか」を示唆してくれた一冊。
年を経るごとに理解が増し、今なお自分の背骨となってくれている本です。

あまりにしょっちゅうインタビューなどで紹介し続けたせいか、最新文庫版では解説を書かせて頂くことに(おお、まったく恐れ多い)。
キャンベルの研究は、数々の学問や芸術に影響を与え、身近なところでは、『スター・ウォーズ』やディズニー映画の物語群に多大なインスピレーションとノウハウをもたらしたといいます。
おそらく二十世紀を代表する本の一つとして残り続けるでしょう。

今読むなら、下記の本とあわせて読むのがお勧め。
『千の顔をもつ英雄』 上下
『サピエンス全史』 上下

人類はいかにして「想像力」を手に入れ、その恩恵の輝きと、呪縛の闇の中で暮らしてきたか。
今ここにいる我々が、至福を追及する上で知っておくべき「物語」とは何か、といったことが、余さず語られています。




2017年1月22日日曜日

続・出版指標



【続 出版指標年報を読んでみた】
カオスな本棚の絵が可愛い、「全国出版協会・出版科学研究所」が発行する『出版指標2016年版』。

病気療養にベッドでごろごろしながら読む。
当然のことながら示唆に富んでいるので、備忘録的にメモしてみよう。

「取次経由の出版販売額――ピーク時から1兆円規模で減少」
たまさか僕がデビューした1996年をピークとして急減。
94年~98年の販売額が2兆5千億円以上であったのに対し、2015年は1兆5千億円。
成長産業であった出版が、30年前の1980年代前半の水準にまで下がったことがわかります。
08年までずんずん下がっていましたが、リーマンショックに加えて東日本大震災があったせいか、09年以降の下がり方は加速的。
いまや転換点を迎えているといっていい。

「出版概況」
『多様な本が売れて』おり、ネットで拾った知識を『掘り下げたい』ときの需要としての書籍が堅調。
娯楽性の高い文庫本はのきなみ不振に。

「雑誌は不振が続く」
『若い読者向けの雑誌がまったく登場しないということは、出版社側も若い人が雑誌に関心を持っておらず、市場性がないと見切っている』と指摘。
雑誌全般の部数減により、雑誌販売を柱としていた、『中小書店の廃業が止まらない』。

「電子出版の市場は1,502億円」
縮小傾向のDVD市場と、だいたい同規模にまで電子出版が成長してきた。
電子出版の成長はコンテンツ主導ではなく、読み放題などサービス主導で大幅増。

「ノウハウ本が盛況」
『自己啓発書・生き方本からヒット続々』となり、ジャンルが細分化。
片付け本ブームが日本のみならず欧米にも広がるなど盛況。
15年にヒットしたテーマは、『所有物を減らし暮らしをスリムにすることで、思考がクリアになり、人生もうまくいく』というもの。

「ムックは半分以上が返品」
『返品率、ついに50%を超える』
雑誌社の定期雑誌が不振であることから、売り上げ補完のためムックの刊行点数を増やすも、書店の棚スペースの限界などにより、『供給過剰の状態』に。

「コミック市場規模は紙+電子で4,437億円」
『紙の落ち込みを電子が補完して』、4,000億円規模を保持。

「コミックではメディアミックスの効果減」
映像化作品点数は『前年より10点ほど少ない180点』で、『映像化作品の返品増が目立った』とのこと。

コミック誌は新たなコンテンツを生み出す場として必要不可欠である一方、コミック作品へふれるポイントが多様化し、『コミック誌を定期的に購読する習慣は失われつつある』と指摘。

「趣味・スポーツ・経済の雑誌の出版傾向」
・好調
『IoT、人工知能に注目集まる』
『読書術、情報整理術本の人気継続』
『アドラーブーム拡大』
『昭和天皇実録』ヒット
『鉄道雑誌、軒並み好調』
『ラグビー関連誌が絶好調』
『株関連・マネー誌好調』
『ミドルエイジファッション誌好調』
『20~30代ファッション好調』
『「妖怪ウォッチ」関連付録で小学館の学年雑誌が健闘』

・不調
『女性誌、全体で8.6%減』
『幼児誌が苦戦』
『パチスロ誌マイナス傾向』
『新車情報誌、4年ぶりのマイナス』
『歴史雑誌が大幅減少』
『アダルト誌低迷』
『タウン誌も休刊・刊行変更相次ぐ』
『嫌中・嫌韓』特集、反応下がる。

これくらいで。
こうしたデータ分析はいずれも結論ではなく前提。実地に現場を知り、どう理解し、どう動くかが重要だと冒険投資家のジム・ロジャースさんなども言っていますね。
貴重なデータから、次の10年を見据える『指標』を探すことにしよう。

なおこの年報、上記以外にも多種多様な出版物の分析に加え、CD・DVD・BDや他ジャンルについても網羅されている他、日本全国の文学賞・新人賞も記載されています。

作家志望の方々は、この年報を読み、業界の現状や、自分が好むジャンル、書きたいと思っている作品がどんな市場に置かれるかを知った上で、原稿を送るべき新人賞を選ぶのも良いのではないでしょうか。

【公益社団法人 全国出版協会 出版科学研究所 通販HP】
http://www.ajpea.or.jp/book/0-2016/index.html


出版指標




【出版指標年報2016年版を読んでみた】
先日、「直木賞・芥川賞は、2月8月の本が売れない時期の盛り上げも意図されて創設されたらしい」というようなことを書きました。
本当にそういう意図があったのか、という点はそのうち改めて事情通の編集者に尋ねるとして。
実際に「2月8月は本が売れない」のか、データを見てみました。
年末に届いたまま積読状態だった「出版指標年報」を、療養がてら読んでみたところ――

結論から言うと、2月8月に発行・販売が落ちるということはない。
では、最も売れない月は? というと、5月。
2015年の月次データによれば書籍、週刊誌、月刊誌、いずれも5月が最低。
びっくりするくらいその月だけガクッと下がっている。ただ低いのではなく、前年比においても最も落ち込む。毎年5月に、なにか一年の「つけ」が回ってくるかのような谷間の時期となっている。

逆に最も売れる月は、3月。
この月だけ、飛び抜けて発行・販売が多い。卒業・進学・就職の時期だからだろうか。
2015年3月と5月を比べると、たとえば書籍販売データ上では、倍以上も差がある。
(書籍推定販売部数 3月8,864万冊 5月3,927万冊)

3月咲きの、5月枯れ。はて、なんでだろう。
企業の年度末、ゴールデンウィークの長期休暇化など、いろいろ理由もあろうことなので、そのうち改めて事情通の人々に尋ねてみよう。





【白湯ばっか】待ち会サミット無事終了【飲んでました】

『十二人の死にたい子どもたち』直木賞ノミネート待ち会&サミット総選挙結果発表。

前々夜に胃腸炎が襲来。リバース&エグゾーストでのたうちまわり、もうろうとして迎えたイベント当日。サミット会議で「全員正装」と決まったため前年に予約したセール30%オフのスーツが手違いで届かず、イベント開始十分前に会場に運ばれるというネタのおまけつき。
他にも大小トラブルが重なり、今年の厄払いはひといきに終え、全て結果オーライ。

かつてサムライはセップクするとき腹の中身を綺麗にするためわざと腹を下したと『シグルイ』か何かで読んだ通り、これぞ精進潔白。
「顔と胴回りがしゅっとしましたね」と、おびただしいリバースの成果を讃えるサミット・メンバー(鬼)。
アパレル系の方にその場でぴしっと着付けてもらい初スーツでも綺麗に着こなせましたよ。
そして病み上がりのリハビリにこの文を書いているため、久々にブログもしっかり更新なのです。

そんな裏事情がありつつ。
平日夕方五時、イベントとして成り立つのか疑問視された時間帯にもかかわらず、集って下さったファンのお陰で、大変有意義なイベントとなりました。

合否の電話を待つ間の、サミット企画・総選挙結果発表のあのやたらと神妙な空気。
電話が鳴った瞬間、会場の全員が沈黙し、コール音だけが鳴り響くさまは、なかなかないリアルイベント体験だったのではないでしょうか。
結果は残念でしたが、おかげさまでまたふつふつとやる気がわいております。

誰かが受賞したことも、単純に嬉しい。最もしょんぼりするのは「該当者無し」で、これはもう、なんと言ったらいいかわからない気分にさせられたと思います。
受賞された恩田陸さんとお会いしたことはありませんが、担当編集者がときおりかぶっていた親近感のせいか、自然と嬉しく思えました。大変おめでとうございます。

それにしても。

受賞ならずとなった作家には新たな気分(良いか悪いかは本人と周囲次第)を与え、読者には作家と業界に注目するきっかけを与え、業界には売れどきを設ける。忌憚ない言い方をさせてもらえれば、(注目される作家の心身には酷ですが)非常に良くできた賞だと思います。

「2月8月の本が売れない時期をしっかり盛り上げよう」というのが賞の創設者・菊池寛の考えだった――
と聞きかじっており、本当にそうか、根拠となる文典を読んだわけでもありませんが、なるほどこれは効果的な施策で、百何十回と続けられるわけだとノミネート二回目にして改めて思わされた次第。(作家のヘイジョーシンはしばしば危機に陥りますが)

その点、本来であれば作家が一人で悶々としている時間を、試行錯誤ながらイベント化できたことは、業界を刺激しようという賞の意図に、多少なりとも寄り添えたのではないかと思います。

ちなみにこれまた聞きかじり。
菊池寛は「金のない書き手志望者や女学生に翻訳小説などのシーンをばらばらに分担させた」とか「小説のシーンを割り振って書かせた」といった、集団執筆も試みたとか。
本当かどうかはさておき、そんな話を聞いたことをきっかけに、初期アシスタント制度や、二次創作解禁、冲方塾、アニメの脚本制作での分担方針といった、「集団執筆」を思案したものでした。

サミット総選挙の結果の結果や、冲方塾の今後についても、引き続き告知して参ります。
サミットツイート @ubukata_summit
サミットブログ http://ubukatasummit-blog.blogspot.jp/


2017年1月2日月曜日

明けて2日


地球照(アースシャイン)と月と金星と火星の競演。
年明け早々、豪華な夜空。(´∀`=)
星の軌道のように〆切も交錯中。